緩やかな日差しが差し込んでいる部屋に、秦野さんの声が響いた。
「私ね、夢があったんです」
「夢?」
「うん。小さい時からお芝居とかミュージカルとかが大好きで。ずっと憧れていたんだけど、早くに結婚して、子供もできて、いつのまにか忘れていたんだけどね」
「はい」
「子供も大きくなって働き出したし、家のローンも払い終わったし。さあ、残りの人生どうしようと考えた時に、そうだ。あたし役者になりたかったんだって思い出して」
「そうですか」
「主人に頭を下げて、どうしても役者になりたいから 1 年間でいいから時間がほしいって話したの。もう家族中大パニック」
「そうでしょうね」
「娘も最初は、母さん何言ってるの?頭おかしくなったの?なんて言い出すし、主人は主人で海外旅行とか、2人の時間の過ごし方を色々計画してくれていたみたいで」
「はい」
「あたしね、1回言ったことは何があっても曲げないくらい頑固なの。それを主人も娘もよく知ってるから」
「なるほど」
「最後には1年間限定で、こまめに連絡をすることを条件に許してくれたの」
「そうだったんですか。でも、それにしてもどうしてこのアパ―トなんですか?」
「え?」
「だって、秦野さんだったらもっといいところに住めるんじゃないですか」
「ふふ。役者のたまごといったら、風呂なし四畳半と決まってるでしょう」
秦野さんはそう言うと、子供のように笑った。
まるで、これからの1年間が楽しみすぎて困ってしまうと言わんばかりの希望に満ちた笑顔で。
僕は、とりあえずネガティブな事情ではないことに少しばかり安心した。