コラム

イタバシュラン短編小説集『大根女優』第十話

どれくらい眠っていたのだろう。

「松本さん。起きてますか」

僕は、誰かの声が聞こえた気がしてぼんやりと目を開けた。

玄関に目を向けても、そこは薄暗いままで何もなかった。

気のせいかと思って寝返りをうつと確かにまた聞こえてきた。

「もうお休みになりましたよね」

僕は、幻聴ではないことに気づいて慌てて起き上がった。

すると、壁のすき間から淡い光が射し込んでいた。

声はそこから漏れているようだった。

僕は壁に近づいて「すき間」を覗いてみた。

そこには、秦野さんが座っていてこっちを見ていた。

すき間越しに目が合った。

「気づいていたんですね。この穴」

僕がそう言うと、秦野さんはいつものように目を伏せて笑った。

「引っ越して来た日に気づきましたよ。こんな大きい穴。最初はびっくりしたんですけどね」

「そうでしたか」

「松本さん、次の日の朝に一緒にご飯食べた時、この穴のことは言ってくれなかったから、きっと言いたくないんだろうなって思って」

「なんか、言い出せずに・・すいません」

「ラーメン屋さんとか古本屋さんのこととか、いっぱい教えてくれたのに」

「すいません。言うべきだったんでしょうけど」

「いいんです。言ってもお互い気を使うだけですもんね。それになんか安心しました。寂しい時とか、松本さんのいびきが聞こえてくると妙に落ち着いたりして」

「うるさくなかったですか?」

「いえ、ちっとも。わたしこそうるさくなかった?」

「全然。僕そういうのまったく気にならないので。でも、どうしたんですか。こんな時間に」

今が、何時かも分からないまま、僕はそう聞いた。

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