コラム

イタバシュラン短編小説集『板橋バンド物語ー人生が変わる。そう信じてたー』vol2

板橋駅の方面へ、黙ったまま歩く怪しい男を、僕は黙って追いかける。

かぶら屋を越えても、串カツでんがなを越えても、男は立ち止まる素振りも、僕に話しかける様子も見せず、ただまっすぐグングンと歩いていく。

僕は、男と微妙な距離感を保ちながら、後ろをついて歩く。

男が背負っている茶色のハードケースが上下に揺れ動く様子を見つめていると、さっき受けた侮辱が思い出され、僕はまた苛立ちを覚える。

(なんなんだよ、コイツは・・・)

僕は、心臓の高鳴りを感じながらも、緊張しているのがバレないようにごまかしながら男についていく。

すると、ふいに男が立ち止まった。

ゆっくりと左右を確認しながら、何かを考える素振りを見せて、数メートル後ろにいる僕に話しかけた。

「おい、お前」

「なんだよ」

「板橋に、スタジオはあるか?」

「スタジオ?そんなの知らないよ」

「・・・まあ、いいか」

男は、僕の返答に小さくため息をついて、近くにあるカラオケの鉄人に入っていく。僕は慌てて声をかける。

「おい、どこ行くんだよ」

しかし、男はそれを無視して、受付に記入を始めた。僕はしばらくその様子を外から見ていたが、やがて観念したかのように男を追って店内に入った。

「ごゆっくりどうぞ」

店員の声にも男は全く表情を変えず、案内された201号室に向かって階段を上っていく。僕も黙ってそれについていく。

カラオケルームに入ると、男はハードケースをテーブルの上に置き、ソファーに腰を下ろした。

僕はどうしたらよいか分からず、入り口に立ち尽くしている。

どのくらいそうしていただろうか。

男は、ギターを見せるでもなく、歌を歌うでもなく、ただ黙ってハードケースを見つめている。まるでこの空間に僕が存在していないかのように、男は僕を意識していない。

僕は、その空気に耐えかねて、小さく舌打ちを漏らした。さっさと帰るなり、罵声のひとつを浴びせるなりすればいいのかもしれないが、昔から慎重で気の小さい性格が邪魔して、僕は身動きが取れない。

すると、男はようやくハードケースに手を伸ばし、パチン、パチンと留め具を開けはじめた。

(なんなんだ、こいつ。訳わかんねえ。こんな狭い部屋で演奏でも聴かせようってのか?)

ケースの中には、黒いストラトタイプのギターが入っていた。ギターのヘッドに「mosby」と書かれている。男は、顎髭を触りながら、ギターを見つめている。

男が呟く。

「おい、モスビーって知ってるか?」

「知らないよ」

「そうか」

それ以降、男は、黙ったままぼんやりとギターを見つめていた。

(おいおい、なんなんだよ。一体。弾くならさっさと弾けよ。だいたいモスビーってなんだよ。昔ジャイアンツにいたモスビーしか知らねえよバカヤロー、さっさとギター弾いてそれで適当にうんちく垂れればいいんだよ。お前はギターが生きがいなんだろ?きっとそうなんだろ?くだらねえ。まったくもってくだらねえ)

僕はなかなかギターを手にしない男を見て、無性にイライラしていた。そしてまったく動こうとしない男に向けて言葉を発した。

「なんか弾いてくれよ」

男は黙ったまま動かない。

「俺の方が”ヤバイ”んだろ?お前にはギターがあるんだろ?だから俺よりマシなんだろ?だったら聞かせてくれよ。ロックンロールってやつを」

男はギターを見つめたまま、答える。

「ギターは弾くものじゃない。感じるものだ・・・」

「お前・・・まさか・・・」

「・・・」

「ほんとは弾けないんじゃないか?」

「・・・」

「おい。なあ、嘘だろ?お前、まさかアレか?弾けないくせにギター持ち歩いてんのか?現実逃避するために、ギター背負ってバンドマン気取ってんのか?俺にはギターがあるとかぬかして、悲惨な現実から目を逸らしてんのか?その年でバンドマンもヤバイけど、お前、相当ヤバイな」

男は震えている。

「昔いたよなあ。見栄を張って、英語読めないくせに英字新聞広げてたり、彼女いないのに、女の子の写真待ち受けにして恋人いるアピールしてるやつ。お前、それ以下だよ。恥ずかしくないの?なんだよ、ガッカリだよ。だいたいさあ、お前がこいよって言うから・・・」

「寂しかったんだよぉぉぉぉ!!!!」

男は、部屋中に響き渡る声でそう叫んだ。

「寂しかったんだよぉぉ。ウェーーーン、ウェーーーン」

男は、そう言ってこっちが恥ずかしくなる程の大きな声で泣き始めた。

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